ギルレモ・デル・トロといえば、「パシフィック・リム」ですよね!
出演者の芦田愛菜さんはなんとギルレモ映画監督を「トトロ」と読んでいたそうですよ。
ギルレモ映画監督は「ヘルボーイ」「ホビット」のシリーズ「パンズ・ラビリンス」「ブレイド2」などいろんなジャンルの作品の監督として活躍しています。
ギルレモ監督は大の怪獣マニアとガチのアニメオタクと言われるほどだそうです!
ギルレモは今後大注目すべき映画監督です。
それではギルレモ・デル・トロ映画監督についてご紹介します!
ギルレモ・デル・トロって誰?
ギルレモ・デル・トロはメキシコ出身の映画監督です。
濃いめで少し崩れ顔が印象のハリウッド俳優「ベネチオ・デル・トロ」と同じ出身なんですね。
長い名前ではないのに長く感じる名前が印象的ですよね。1発で覚えられないにせよ、一回で印象に残る名前ですよね笑
「トトロ」と呼ばれたのは何故?それはギルレモ監督の思いやり・・・
「パシフィック・リム」の撮影の時、芦田愛菜さんは当時9歳でした。
ギルレモ監督も芦田愛菜さんの大人ぶりに敬服。「天才」ど断言していた程でしたが、どうしても「デル・トロ」と発音できずにいたのです。
ギルレモは宮崎駿の作品の大ファン。芦田愛菜さんを気遣って、「トトロ」でいいよ〜!と話したそうですよ。
また、菊地凛子さんが過酷な撮影の中、リラックスできるようギルレモ監督自ら「トトロ」の歌を歌った、というエピソードもあるそうです。
撮影で厳しい監督も多い中、ギルレモ監督は心の余裕すら垣間見えますね!俳優の持っている力を最大限に引き出せるような優しさや思いやりのある方だと私は思いました。
ギルレモ・デル・トロ監督のプロフィール紹介
1964年10月9日生まれ
メキシコハリスコ州グアダラハラ出身
映画監督、映画プロデューサー、脚本家、小説家としても活躍
映画「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017)ではアカデミー作品賞、監督賞を受賞し、ヴェネチア国際映画祭では金獅子賞をという最高賞を受賞。
<主な作品>
1997年「ミミック」
2002年「ブレイド2」
2004年「ヘルボーイ」シリーズ、
2006年「パンズ・ラビリンス」
2012〜14年「ホビット」シリーズ
2013年「パシフィック・リム」
2017年「シェイプ・オブ・ウォーター」
最新作は2022年『ナイト・メア・アリー』
そのほか「カンフーパンダ」の制作総指揮監督や「魔女がいっぱい」などコミカルな作品も手がけいいます。
映画監督として活躍するまでの経歴
ギルレモは10歳の頃から映画に興味を持ち、メキシコ国立自治大学附属映画学校で映画を学びました。
のちにアメリカへ立ち、過去に手紙を送っていたディック・スミス(特殊メイクアップアーチストで主な作品はエクソシスト、ゴッド・ファーザー)の元で学びます。
ギルレモは帰国後に特殊メイク・造形の会社を立ち上げ、10年以上特殊メイクの世界に携わり、
短編映画やTVなどを経て1993年映画「クロノス」で本格的に映画監督として活動開始。
メキシコで「Cha.Cha.Cha(チャ・チャ・チャ)」という映画制作会社を同じメキシコ出身の監督と立ち上げ、
ギルレモが2017年公開した「シェイプ・オブ・ウォーター」で最初のアカデミー賞を4部門受賞。(監督賞、作品賞、美術賞、音楽賞)
なんと、ギルレモ監督は特殊メイクから映画の世界に入っていたのですね!ほとんどの映画は独特なキャラクターで際立っていたのに私は納得しました!
ギルレモの子ども時代は「死」と隣り合わせ?
ギルレモ監督は9歳の頃に、「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー著)を読んで、その怪物であるフランケンシュタインに大変な同情し、それが以後の映画の世界に入るきっかけとなりました。
そしてギルレモは10代の頃から映画に興味を持ち始めたギルレモ少年は、死と隣り合わせだった経験からエドガー・アラン・ポーやボードレールなどの世界にのめり込み没頭するようになったそうです。
その理由は、ギルレモが銃を頭に突きつけられた凄まじい経験や遺体安置所でボランティアをしてた経緯があります。
当時のメキシコでは死体を目の当たりにすることが普通だったそうで、ギルレモの世界観を作り上げる一つの要因なのだと私は思いました。
ホラーや不思議で幻想的な物語がギルレモの逃避世界だったのかもしれません。
ギルレモを育てたのは日本のサブカルチャー?
ギルレモ映画監督では無類のアニメオタク、特撮・漫画好きで知られていて、尊敬する人は「押井守」とのことです。
「私の太ったハート(fat heart)に、ここ日本はとても近しい場所なんだ。だから、自分らしい表現を貫いた自信作を持って、来日できて光栄だよ」
(来日した際のインタビューにて)
このようにギルレモ自ら『オタク』と称し、たくさんのモンスターや奇抜な作品を「荒涼館」と題した自宅にコレクションしているそうです。
公開している書籍は数知れず。
小泉八雲、楳図かずおに水木しげる、かと思いきや男鹿和雄(スタジオジブリの作品も手掛けている)士郎正宗などそのほかにも数多くの作家の書籍が並んでいるとのことです。
2000年に大友克洋の漫画「童夢」や浦沢直樹の「MONSTER」の映画化を計画したこともあるそうです。
これだけ日本のカルチャーに造詣が深いですから、「ギルレモだったら映画化は全然構わない!!」って思うくらい、期待できそうですね!
またギルレモ映画監督は日本の食べ物も大好きで知られています。
ジャケットのボタンが閉める仕草をしつつ「日本に来て、お菓子を食べ過ぎちゃって…。それにしゃぶしゃぶもね。だから、ボタンが閉まらないよ」
ユーモアやお茶目なところもあって、これまた憎めない可愛いギルレモ映画監督がかい間見えますね。少年そのままという感じです。
ギルレモは無類のアニメオタク、怪獣マニアだった!
ギルレモ監督が「パシフィック・リム」の劇中では怪獣を『kai-ju』とそのまま英語で使っているのは、大の怪獣マニアだそう。
中でもウルトラマンを作った元祖特撮の映画監督円谷英二さんの、いわゆる『円谷怪獣』が大きく影響しています。それが「パシフィック・リム」です。
ギルレモ映画監督は「パシフィック・リム」のプロモーション来日の際バルタン星人とご対面。
その時の嬉しさは半端なく少年のような純粋な笑顔の様子が日本テレビ「ZIP!」にて放映されました。
「僕のお気に入りの(円谷怪獣の)一つは、魅力的なほどにおかしくて哀しいキャラクター、ピグモンだ。宇宙から来た巨大なバッタのような怪獣、バルタン星人も大好きだよ。他にも感傷を誘うお気に入りのキャラは、ベムラー、アントラー、ゲスラ、ラゴン…これ以外の怪獣もみんな大好きだ」
なぜこんなにも特撮アニメや怪獣の類が好きなのでしょう・・・それはギルレモが少年の頃にメキシコに入ってきたたくさんの日本のポップカルチャーの影響があったからだそうです。
ギレルモ「1960~70年代、メキシコに日本のポップカルチャーが一気に入ってきたんだ。僕らの娯楽の5~6割は日本発のものだったと思うよ。なぜかは分からないが、たぶん映画やTVの権利料が安かったんじゃないかな。」(EMPIRE誌寄稿文より)
ギレルモ「こうして僕らはウルトラマンやウルトラセブン、ウルトラQなどの円谷英二の特撮TVシリーズ、コメットさんやマグマ大使、キャプテンウルトラなどの実写ファンタジー、そして鉄人28号、藤子不二雄のパーマン、狼少年ケン、スカイヤーズ5、そして黄金バットといったアニメを見れたんだ」
ギルレモ「手塚治虫のアニメには大いに影響を受けた。ジャングル大帝のキンバ、レオ、鉄腕アトム、リボンの騎士などにね。映画館でも、新藤兼人監督の『鬼婆』や『藪の中の黒猫』、そして多くの東宝アニメ映画(このときから本能的に高畑勲と宮崎駿のスタイルを学びとり始めた)と怪獣映画を観たよ」
私はマニアではないにしろ女性としてはコアなアニメや漫画を知っている方です。しかし、本当にたくさんの特撮やアニメを片っ端から観ているのはもう敬服するしかありません。
さて、いかがでしたか?
ギルレモ映画監督の作品は自身の少年時代の時の影響が大きく関わっていました。
それほど、子ども時代の経験というのは今後の人生を左右するものなんだと改めて思いました。
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