「グリーンブック」は実話?ピアニストのドクター・シャーリー生涯とは?



グリーンブックは劇中にも出てくる本のことで、この物語は実話となっています。差別していたドライバーと旅の主人となるドン・シャーリーの友情物語。

有色人種差別は今でも残念ながらありますが、この物語の時代はもっと酷かったようですね。

映画「グリーンブック」でについては歴史的背景や主人公のピアニスト、ドン・シャーリーの生涯についてみていきます。

 

「グリーンブック」と実話?あらすじ、キャスト紹介

 

『グリーンブック』とは黒人ドライバー向け旅行ガイド本のことです。それが映画のタイトルとなっています。

1930年から1960年のアメリカでは人種差別政策があり、ジム・クロウ法(人種差別的要素を含むアメリカ諸州の州法)の一つです。アフリカ系アメリカ人を対象としていました。

 

グリーンブックを作った人は、作家兼出版業者の「ビクター・H・グリーン」

本の名前の由来はそこからきています。ビクター氏も黒人です。

 

当時はアメリカ南部は黒人差別が色濃く残っていて、南部以外にも黒人を差別するべく、宿泊施設、レストラン、飲み屋、給油までもが使用の禁止のところが多かったそうです。

 

グリーンブック考案者のビクター氏はニューヨークのハーレムの郵便局員だった時にニューヨーク地域のガイドブックを作り、それが黒人旅行者の間で話題となり、ジム・クロウ法の下でも黒人相手のビジネスをしているところを紹介するガイドブックを作ることに至りました。

 

肌色の差別…日本では本当に考えられないことですよね。

人種のサラダボウルと言われているアメリカですが、今でこそ黒人がいろんな舞台で活躍していますが、近代まで色こく残っているというのは私は大変ショッキングでした・・・

映画「グリーン・ブック」あらすじ

舞台は1962年ニューヨーク。

ナイトクラブで用心棒として働いていたトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)が家計のために黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の用心棒兼運転手兼世話役として契約。

ドクターシャーリーはトニーの奥さんにクリスマスには必ずトニー帰すと約束をします。

共に南部へのコンサートツアーを回り、その間に起こる様々な葛藤や黒人としての屈辱、事件などを通して生まれる二人の絆を描いています。

 

「グリーン・ブック」主なキャスト紹介

<ピアニスト/ドクター・ドナルド・シャーリー>=マハーシャラ・アリ

<用心棒/トニー・リップ・バレロンガ>=ヴィゴ・モーテンセン

<トニーの妻/ドロレス・バレロンガ>=リンダ・カーデリーニ

<チェリスト/オレグ>=ディミテリ・D・マリノフ

<ベース/ジョージ>=マイク・ハットン

「グリーンブック」の主人公ドクターシャーリーってどんな人?

ピアニストのドクター・シャーリーは実在の人物。

この物語の脚本にはトニー・リップの息子、ニック・バレロンガも関わっており、ドクター・シャーリーのことについても父から話を聞いたりしていたので、よく知っていたようです。

ドクター(ドン)・シャーリーの経歴

1927年1月29日ー2013年4月6日(心臓病で亡くなりました) フロリダ州ペンサコーラ生まれ

ステージネームはドン・シャーリーで知られています。

本名はドナルド・ウォルブリッジ・シャーリー

ジャマイカ系移民アフリカ系アメリカ人の両親を持ち、母親は教師、父親は米国聖公会司祭。

裕福な家庭育ったドクター・シャーリーは幼少期の頃から母親から音楽の指導があったそうです。

母親は9歳に時に亡くなっているそうです。

実は超天才!子どもの頃のドクター・シャーリー

ドクター・シャーリーは9歳の頃、レニングラード音楽院の生徒になったほどの天才ぶりでした!

劇中にトリオの一人、チェリストのオレグとロシア語を交わしているシーンがありますが、そういうことだったんですね!

 

クラシックピアノを主に勉強し、ン・ポップ・オーケストラと共演を果たしています。

 

途中ピアノ活動を中止して心理学を学び始め、1954年ピアニストを再開し、自身が子供の頃から習っていたクラシックをベースにジャズを展開し始めたそうです。

 

ドクターシャーリーのピアノを聴いていると、どっぷりハマったジャズ音楽ではなく、サロンミュージックのような軽やかな音楽性のあるピアノの印象があるぁと私は感じました。

 

1950年から1960年にかけてケイデンズ・レコードで多くのアルバムを残しています。

作曲家としても活躍しており、レストランでトニーが自分の妻が子どもたちに囲まれている写真のレコードを買ったとシャーリーに言っているシーンがありますが、そのレコードの「地獄のオルフェ」もその一つです。

あらゆるところで演奏したり、レコードを出したりして有名になったシャーリーは1960年代以降、たびたびコンサートツアーをするようになりました。

その時の話が、この「グリーンブック」となります。

 

9歳の頃にロシアのレニングラード音楽院の生徒になったのは大変驚きました!

時代背景を踏まえると、ドクターシャーリーが黒人だからすごい!と思うのか、彼の実力がすごいですよね!



映画「グリーンブック」主人公ドクターシャーリーの本当の生涯とは?

1960年以降からのシャーリーのは映画「グリーンブック」やシャーリーのアルバムなどをみれば垣間見ることができますが、実際のところ自伝らしき資料が日本にななさそうです。

本当の生涯とはなんだったのでしょう。

 

映画「グリーンブック」のあらすじでは、生活のために嫌々ながら雇われる契約交わし、反発するも仕事をこなしていく中でシャーリーとトニーとの間に不思議な絆が生まれていきます。

 

これを「信頼」と呼ぶのか「仲間」や「友人」と呼ぶのか・・・はっきりと定義づけるものは映画の中にはありませんでしたが、「偏見のない、許しあえる仲」というのが当てはまる気がします。

それを「友情」と呼ぶのかもしれませんが・・・

 

前述したように、「グリーンブック」の脚本を手がけた一人はトニー・リップの息子のニックが携わっていますが、筋書きが違うという人がいました。

映画の中で疎遠で仲が悪いとされていたドクターシャーリーの兄の証言です。

 

「シャーリーはトニーを友人と思ってはおらず、ただのお抱え運転手だった」「自分と似ていない人を雇っただけだ」と映画「グリーンブック」では事実が伝えられていない。

このように言っているそうです。

 

しかし、トニーの息子のニック・バレロンガは2019年1月のアメリカの雑誌「バラエティ」では「彼らは一年半も一緒にいて、その後も友人で居続けた」と言っています。それは生前シャーリーがこの話を誰にもしないように語っていたというのです。

 

また、シャーリーは4人兄弟で家族とも連絡をちゃんととっていたという証言もありました。

 

とはいえ、どちらの言い分がドクターシャーリの本当の生涯をかたっているのか、真実を知る術がありませんね。

映画として世界に出したもん勝ちかもしれませんね。実際、トニーの息子が脚本を手がけているとなれば、疎遠になっていたシャーリーの兄の話よりも真実味を感じてしまうのも仕方ありません。

実話を元にした映画となれば観た人は「そういうものだ」と信じてしまうのが世の常ですから・・・

 

またシャーリーは公民権運動にも積極的だったとか。

1965年の血の日曜日事件といったアフリカ系アメリカ人の公民運動に参加しており、アフリカ系アメリカ人の演奏家や指導者の友人も多く持っていたようです。

 

映画「グリーンブック」の中ではアフリカ系アメリカ人のコミュニティからも見放されているようなニュアンスで描かれていましたが、どうやら違うようですね。

ドクター・シャーリーは心理学者として働いていた!途中でピアニストをやめた理由・・・

ドクターシャーリーはピアニストとして活躍する中、突然活動を停止して心理学を勉強し、名誉博士号を取得していました。

その理由は何か・・・・

もちろん、黒人迫害があったという時代背景が関わってきます。

どんなに芸術性に溢れていても、素晴らしい演奏家でも、黒人演奏家に音楽の機会がなかなか与えられていないことに嫌気が差したそうです。

 

いったんピアニストの道を諦めて、シカゴ大学で心理学を学び始めました。博士号を取った後は心理学者として働いていたことあったようですが、再びピアノと向かい合うようになりました。

 

小さなクラブで演奏を再スタートし、自分の音楽が聴衆にどのように反応するか実験を通して、音楽と少年犯罪の関係を研究していたそうです。その研究のための助成金をもらっていたとか。

ドン・シャーリーの演奏はどんな感じ?

映画「グリーンブック」のドクターシャーリーは白人に馬鹿にされないよう感情を見せない毅然とした態度、綺麗な英語でした。そして優雅なピアノの演奏をします。

しかし、実際のシャーリーの雰囲気は違うようですよ。

「知的だが無邪気なほど粗野で移り気、自衛的で、全て(特に音楽)において非完全に耐えることができず、彼独自の音楽のように、複雑でどこかにカテゴライズなんかできないような人物だった」ウィキペディアより

このように著述家のディビッド・ハイドゥ氏は述べていたそうです。

 

映画の最後の方の場面では、演奏場所でありながら自分はその演奏場所であるレストラン内でディナーが食べられないことを知り、最後は演奏を破棄してトニーと黒人のバーへ行きます。

そこでは黒人たちが飲み明かし、ジャスやスイングの生演奏を楽しんでいる中、ドクターシャーリーもセッション参加。

その時のドクター・シャーリーの顔を今までになく明るく素の笑顔で輝いていたのがとても印象的でした。

やはり、自分の本当に弾きたい曲を弾けた、自分を解放できた時間だったに違いありません。

 

彼の演奏がどんなに素晴らしくても、肌の色によって身分や扱いを変える不都合な西洋の考え方には理解が及びません。

 

どんなに迫害を受けても不屈の精神と揺るぎない心で人々を音楽によって変えてきたことに、敬服し尽くしても足りないくらいでしょう。

ドクターシャーリーは同性愛者だった?!

映画「グリーンブック」の中で、旅先のドクターシャーリーは夜はウィスキーで一人酒の毎日でした。

その様子はどこかもの悲しげで思い詰めた遠い目。奥底に秘めた誰にも理解できないようなものがものがありました。

そしてトニーの知らない間にどこかへ出掛けてしまうことも・・・黒人が一人というのは危険なのに。バーで殴られたり、YMCAのプールでの逮捕事件・・・

一人で出かける理由は同性愛者を求めいていたからです。

逮捕された時、警察官の一人がシャーリーに向かって「おばさん」と言い放つシーンがありましたが、その意味は同性愛者だということ。

このことに対して「知られたくなかった」とシャーリーはトニーにいうも、自分がどんな性分なのかを打ち明けてはいません。実際のシャーリーも同性愛者だったかどうかはっきりとした証拠や証言はありませんでした。

シャーリーの離婚歴はありますがこれ以上のことはわからないようですね。

 

この時代はゲイ解放運動も盛んでした。ゲイに対する批判や偏見はひどく、黒人同様扱いはひどいもので、アルコール飲酒を禁止したり、嫌がらせ、営業免許の停止などがあったようです。

 

しかし、本当のドクターシャーリーの生涯は誰にもわからないのかもしれませんね。身近な人の本当の生涯だって分かりっこないのですから笑笑




いかがでしたか?今回は実話映画「グリーンブック」のドクターシャーリーの生涯について調べてみました。

他にも実話を元にした映画はたくさんありますが、実話といえども死人に口無し。本当の生涯なんで誰にもわかりません。近しい人が語っていたとしても真実は風の中ですね。



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