『ラストエンペラー』は、西太后の命により、わずか3歳で清朝皇帝に即位した溥儀の半生を描いた作品。その物語の中で「虫」、「黒い玉」という不思議なシーンがありましたよね。
「虫」は、「紫禁城 故宮太和殿」の即位式で家臣が溥儀に渡したコオロギではなくキリギリス。
「黒い玉」は、西太后が崩御した際に口に入れられた黒真珠のことですが本当は翡翠だったというのです。
今回は、「虫」や「黒い玉」について何を意味しているのか?本当は何なのか?を紐解いてみたいと思います!
【ラストエンペラー】「虫」は何故コオロギ?何を意味しているの?
中国では古くからコオロギを闘わせる遊び、「闘蟋(トウシツ)」といって、唐の時代から宮廷の遊びされていました。
しかし「ラストエンペラー」では、どう見ても主人公の溥儀が持っていた虫はコオロギというよりキリギリスですよね。ではなぜコオロギという設定なのか・・・
中国のコオロギってデカイような気がしますが(笑)
映画ラストエンペラーのラストに老人になった愛新覚羅溥儀の持っていたコオロギは、キリギリスだったような記憶がありますが。— 高橋それは窓のない部屋 (@500_sr) June 3, 2017
ベルトリッチ監督は物語にリアリティを出すために、中国宮廷の風習を参考にコオロギとコオロギを入れる「虫壺」を使用したと考えられます。
またコオロギは小さくて黒っぽいので、大きさや色合いから映像的にキリギリスを使ったのではないでしょうか。
キリギリスpic.twitter.com/Jb7NLt4uKo
— 緑色bot (@green_bot369) November 29, 2022
そして「虫」と「虫壺」は、溥儀の半生との比喩です。
「虫」は、自由のない溥儀自身。
「虫壺」は、溥儀が皇帝に即位してからの生きた住まい。
再来年の舞囃子は「邯鄲」の予定。早。
ラストエンペラーでコオロギ(=邯鄲)が最初と最後のシーンに登場し、溥儀の人生が一炊の夢に重ねられてる。
コオロギがいなかったら映画が成り立たないほど重要な存在。能の原典が、唐「枕中記」で、800年頃。
太平記にさらに古い春秋戦国時代の物語の記載あり。 pic.twitter.com/rDLHUEPNK6— 青衣女人 (@soutennohana) November 24, 2022
つまり「紫禁城」をはじめ「天津租界地」、「満州国」、「ソ連捕虜収容所」、「中国戦犯管理所」といった、束縛された環境だったんです。
ベルトリッチ監督は、『ラストエンペラー』の最大の見どころである、「紫禁城 故宮太和殿」の即位式のシーンにおいて、3歳の溥儀と「虫」の描写によって、視聴者にこの映画の『テーマ』を伝えたかったのではないでしょうか?
豆知識ですが、その虫壺は脇に抱えて温め、冬場は虫が凍えないようにしていたそうですよ。
ラストエンペラー』「黒い玉」は何?何故、西太后の口に入れたの?
『ラストエンペラー』の「黒い玉」は、黒真珠の設定になっていますよね。
西太后が崩御したシーンで、口の中に入れられた「黒い玉」は、「ブラックパール」というセリフがあったとおり、黒真珠で違いないと思います。
しかし、あくまでも映画『ラストエンペラー』の演出上においての話で、本来は翡翠であると私は考えています。
「ラストエンペラー」、西太后の死。
なんか口に黒い玉入れんの。#映画で印象に残っている死 pic.twitter.com/bMfgFgYAkP
— “元・非正規のクンタキンテ”かほる (@abuttaika) October 26, 2016
何故、西太后の口に入れたのかというと、中国にある含玉(ガンギョク)という風習があったからです。
含玉(ガンギョク)については、「魔除け」「長寿延命」「死者の復活」などのために死者の口に翡翠の玉などを入れるというもの。
作品にリアリティを出すため、その風習を映画のシーンに取り入れたのかもしれません。
ただし、「黒い玉」の大きさや、「西太后」が翡翠を好んでいたことなどから、事実としては、黒翡翠だったのでは?と私は思っています。
【ラストエンペラー】のラストシーンを解説!コオロギが60年生きていた?
『ラストエンペラー』のラストシーンは、溥儀がどういう人生を送り、そして人生をどう感じたのかを表した圧巻の名シーンです。
一番気になったのは何故玉座の後ろから取り出した虫壺にコオロギがいたのかですよね!
映画『ラストエンペラー』のラストシーン。「おじさんは、中国の皇帝だったんだ」に泣いちゃいました。。 pic.twitter.com/7FajHCgv3b
— くつみがきバンビ (@oberhirsch71) December 10, 2020
主人公の溥儀は民間人となり、博物院となっていた「紫禁城」を訪れ、かつては座っていた玉座に上がろうとすると、「守衛の息子」だという少年から注意されます。
溥儀は「かつて、ここに住んでいたんだ」と言うと、溥儀は玉座の裏から「虫壺」を取り出し少年に渡します。
そして「虫壺」からコオロギが出てくる。
少年が振り返ると溥儀がいません。
このシーンは、「少年が新しい時代の象徴と未来」であり、「溥儀は忘れ去られた過去」を表しています。
激動の時代と波乱の人生を生き抜き、清朝皇帝から民間人にという、世界でも稀な人生を送った溥儀。
「ラストエンペラー」のこのラストシーンは溥儀がやっと得ることのできた「自由と人生の幸せ」であり、つまりコオロギが「虫壺」から出るシーンでは溥儀の自由を表現していたのです。
しかし虫が60年生きているはずもありませんよね。そこは映画での表現として「虫壺」から出てきたコオロギは溥儀そのものである象徴を表すベルトリッチ監督の手法だったのです。
昔「ラストエンペラー」を観た時は、えー!なんで虫が生きてるの?!と不思議に思っただけでしたが、映画表現として深読みるすると、面白いものがありますよね。
「忘れ去られた溥儀」これこそが溥儀にとっての自由であり、幸せそのものだったのだと思います。
『ラストエンペラー』のあらすじと概要
第二次世界大戦の終結後、戦犯者として送還中に自殺を試み一命を取り留めた男が、清朝最後の皇帝、満州国唯一の皇帝、『ラストエンペラー』愛新覚羅溥儀だった。
「中国戦犯管理所」で尋問に合う中で、溥儀は幼き頃から皇帝として生きた「わが半生」を語り始める。
生母との別れ、西太后への謁見、そして西太后の命により3歳で清朝皇帝となった溥儀が皇帝「ラストエンペラー」として生きて行く。
「紫禁城」での清朝皇帝、家庭教師ジョンストンとの出会い、「紫禁城」からの追放と、激動の時代の流れに、人生が翻弄されていく。
日本の庇護を受けた溥儀は、満州国皇帝となったものの、皇后と第2皇妃が去り、また孤独で自由も奪われた飾りの皇帝となっていた。
日本の敗戦によって、満州国皇帝を退位した溥儀は亡命の途中、ソ連軍に捕らえられた。
それから14年後「中国戦犯管理所」を解放された溥儀は、「文化大革命」に賑わう街の中で庭師として、民間人として生活する。
ある日、かつて生活していた「紫禁城」(いまは博物院)を訪れ、玉座に座ろうとすると、一人の少年が現れ、溥儀は止められます。
溥儀は「かつてここに住んでいたんだ」と言いながら、玉座の裏から「虫壺」を取り出し少年に渡します。
「虫壺」からコオロギが出てくると同じく溥儀の姿が消えていました。
拡声器の音が流れるなか観光客が「紫禁城」に入ってきます...
<概要>
溥儀の自伝『わが半生』をもとに、イタリアのベルナルド・ベルトリッチ監督が激動の歴史のなかで、波乱の人生をおくった清朝最後の皇帝『ラストエンペラー』を壮大なスケールと色鮮やかな映像によって描かれた作品。
1987年イタリア・イギリス・中国合作で作成された『ラストエンペラー』は、1988年第60回アカデミー賞で、作品賞をはじめとする9部門を受賞した歴史大作です。
この作品では、坂本龍一が日本人で初めて作曲賞の栄冠に輝きました。
『ラストエンペラー』は密室の音楽だ。紫禁城という閉空間に響く音楽は弦という音色がふさわしい。
— 坂本龍一bot (@the_endofasia) November 29, 2022
因みに甘粕正彦役として映画に出演もしていました!
溥儀には、中国系アメリカ人ジョン・ローン、溥儀の家庭教師に「おしゃれ泥棒」「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥール、(日本軍人)甘粕を坂本龍一が演じ、アカデミー賞9部門、ゴールデン・グローブ賞4部門を受賞した映画史上に残る歴史超大作。
坂本龍一は、日本人で初めてアカデミー賞作曲賞を受賞。
当時困難であった「紫禁城 故宮太和殿」の撮影による即位式の荘厳で華麗なシーンは圧巻です!
【ラストエンペラー】まとめ
★『ラストエンペラー』の「虫」はコオロギの設定でしたが、撮影はキリギリスが使われていました。
★西太后の口入れた「黒い玉」は黒真珠の設定でしたが、中国古来の風習と西太后が翡翠を好んでいたことから、黒翡翠の可能性あります。
★ラストシーンでの虫壺やコオロギは主人公溥儀がかつていた「住処」と「溥儀自身」であり、その溥儀の本当の自由を表していたということ。
溥儀は、60年の人生の中で、民間人となったのは8年ほどです。
原作は『わが半生』となっていますが、50年も時代に束縛され自由がありませんでした。
それでも、溥儀は『わが半生』としていることが、どれだけ自由な人生が尊いものかを感じていたか知れません。
『ラストエンペラー』は、人はどう生きるか、どのように生きて行くのかを考えさせられる作品だと思います。
コメント